FLOW  FLOW WORLD TOUR 2015 極  GOT’S  IWASAKI  KEIGO  KOHSHI  TAKE  菊池康平 
2015年05月25日

ファン必見! FLOWのKEIGO&TAKE×
狂犬・菊池の超爆笑フットボール談義
「サッカーと陸上とアメフトと唐揚げと恋愛とバンドと」(前編)

3人の掛け合いが面白すぎた結果、前編・後編で総計15000字オーバーという、出し惜しみのない大ボリュームで掲載。普通ならば割愛となりかねないのだが、そこはROOTSらしさを求めFLOWの貴重な話の数々を、余すことなくお届けする。手前味噌だが、本当に面白いという反面、前編は音楽とフットボールの関係性は皆無。ただただKEIGO&TAKEのフットボールにまつわる生い立ち、爆笑エピソード、それにバンド結成秘話で構成。まずはこれを読み、FLOWのルーツに触れてもらいたい。そして今回も対談の進行は狂犬ライター・菊池康平が担当。普段から蹴り仲間である気の置けない間柄だからこその珠玉のフットボール談義をご覧あれ。ただ一点、本当に長いのでそこのところは承知おきいただきたい。

text by Kohei KIKUCHI
photo by Yoshinobu HONDA

文=菊池康平

KEIGOの高校時代はまさかの陸上部

菊池 お2人とは2010年の冬に多摩のフットサルコートで初めてお会いしましたね。
TAKE もうそんなに経つんですね! 確かに多摩に行ったなあ。
菊池 その時にTAKEさんが、(あまりの遠さに)「旅じゃねえか! 二度と来ねえ!」と言っていて、本当に怖い人かと思いましたよ(笑)。
KEIGO ははは、すごい文句言ってたんだな(笑)。
TAKE 気軽な気持ちで行ったらいつ着くんだと(笑)。まあまあ、今回は“狂犬・菊池”がインタビューしてくれるってことなので、早速噛み付いてきてください(笑)!
菊池 そこはほどほどに(苦笑)。では最初にKEIGOさんへ質問ですが、サッカーを始めたキッカケは何だったんですか?
KEIGO 意外と普通の質問からだね(笑)。特に部活などでプレーはしていなくて、見ることにハマったんですよ。中学生くらいの時に親父が映画好きでWOWOWに加入していて、そこでセリエAが流れていてたまたまミランの試合を見たんです。当時のミランは(ルート・)フリットや(マルコ・)ファン・バステン、(フランク・)ライカールトがいて無敗優勝なんかをしていた黄金時代と呼ばれていた時でしたね。そんな運にも恵まれて、「サッカーは面白いな!」って感じてセリエAを見続けていたらちょうどJリーグが開幕したんです。それで国立競技場で行われた開幕戦も、幸運なことに友達がチケットを取ってくれて観戦に行けたんです。
菊池 (ヘニー・)マイヤーがゴールを決めたあの試合ですね!
TAKE おお、Jリーグ初ゴール!
KEIGO 初ゴールは、カズ(三浦知良)なのか? (ラモン・)ディアスなのか? なんて予想していたら、まさかのマイヤーで(笑)。「誰だお前」ってなりました(笑)。
TAKE その年でいなくなっちゃったしね(笑)。
KEIGO そうそう、数点決めてわずか半年でオランダに帰国しちゃった(笑)。とにかくずっと観戦が大好きだったんですけど、一方で自分はプレーしていなかったんですよ。(サッカーでも有名な)武南高校に進学しておきながら、陸上部だったりしました(笑)。
菊池 でも、100メートルを11秒台で走るんですよね?
KEIGO そうそう(笑)。実はサッカーを始めたのは大学1年の頃なんです。サッカー好きの友達に出会って、同年代の仲間とチームとユニホームを作って草サッカーを始めました。部活やサークルではなく、知り合いのチームと対戦したりしていましたね。18歳でやっとプレーすることに目覚めた。
菊池 遅いデビューだったんですね。
KEIGO それまでも体育の授業とかではやっていたけど。
TAKE お、お、噛み付くか、噛み付くか〜(笑)!
菊池 いやいや、逆にプレッシャーですって(笑)。でも何で陸上部なのにいきなりサッカーをやったんですか? ガブッ(笑)!
TAKE そうそう、短距離ですよね。陸上部なんですよね(笑)?
KEIGO いやいや……なんとなくですけどね。そんな感じで蹴り始め、音楽の仕事も始め、最初にミュージシャンズカップに出ましたよ。
菊池 ケツメイシさんなどが出場されていた2005年の大会ですよね!
TAKE そうそう、氣志團とかw-inds.とかも出てたね。
KEIGO ふとしたキッカケから出場して、そこでサッカースクールを開催している方に出会ってたまにそのスクールの練習へ行くようになったんです。
菊池 そうなんですね。当時のポジションはどこだったんですか?
KEIGO 始めた時からFWでしたね。今と同じ攻めのポジションですね。あと足が速かったから(笑)、友達にサイドを走れと言われてサイドハーフなんかもやっていました。
菊池 野人・岡野さん(岡野雅行)みたいな感じですかね?
TAKE フロム・レッズ! 最高です!!
菊池 さっきからTAKEさんの合いの手が面白いですね(笑)。KEIGOさんの好きだった選手は(フィリッポ・)インザーギだと聞いてますが合っていますか?
KEIGO インザーギも好きだったけど、一番最初にこの選手はすごいなと思ったのが……。
TAKE キング・カズですね!!
KEIGO そうそう。でもカズの話をしたらずっと話し続けちゃうからほどほどに(苦笑)。それと、一昔前のウルグアイ代表で、インテルでプレーしていたルベン・ソサという選手のFKがスゴイと思っていましたね。
菊池 ルベン・ソサ? (アルバロ・)レコバしか分からないです……。
KEIGO レコバも好きですけど、ルベン・ソサはファン・バステンがミランにいた時代にインテルでプレーしていて、本当にすごかったんです。あとはロベルト・バッジョも大好きでした。
菊池 さすがに当時のセリエA愛を感じますけど、プレーヤーとしてもフットボール愛が深まってますよね。最近も2日連続で一緒に蹴っていたこともありましたし(笑)。あっ、これはバラしてしまっても大丈夫ですか?
KEIGO 全然大丈夫! 蹴っているのは仕事が入っていない時間帯だから。
TAKE 仕事しないでボールばっか蹴って!
KEIGO 仕事した方がいいんじゃないですかって? 噛み付くね〜(笑)。でも比較的今の方が蹴れる環境があるというか、康平くんとか知り合いの人も多くなったし、どんどん蹴る機会が増えていますよ。
菊池 最近、KEIGOさんのスイッチが入った気がします。出会ってから5年ほどが経ちますけど、この半年くらいは特に蹴っていますからね。
KEIGO そうだね! でもそれは今年の年明けも出場した「音蹴杯」の影響も大きいかな。
菊池 音蹴杯のために練習した結果、今年はベスト4と結果が出ましたからね。
KEIGO 結果が出たこともそうだし、何よりも試合にたくさん出れたことが大きい! やっぱり出場できたら楽しいし、そうは言っても悔しいこともあるから、それでどんどんうまくなりたいってなるんですよ。

TAKEが「リベロの武田」を目指した中学時代

菊池 お待たせしました。では次にTAKEさんのフットボールエピソードをお願いします!
TAKE KEIGOくんとは真逆ですね。全く試合は見ないし、自分でやるだけ(笑)。他人のプレーに興味がないんですよ(爆笑)。だから選手の名前とかサッカーの歴史とかも知らないんです。
菊池 そうなんですね(笑)。蹴り始めたのはいつ頃からですか?
TAKE 「キャプテン翼」世代なので、翼くんに影響されて小学校の休み時間に蹴り始めたのがキッカケです。当時は、キックベースかサッカーという感じでしたね。
KEIGO キックベースって懐かしいね(笑)。
TAKE 立花兄弟の「スカイラブハリケーン」とか練習しましたね。あとドライブシュートも(笑)!
KEIGO それを防ぐためにクロスバーに登ってね(笑)。
TAKE あとは、家族で海に行った時に、日向くんと同じ練習をして海に向かってボールを蹴ったらそのままボールが流されちゃった(笑)。
菊池 それはスゴイですね(笑)。
KEIGO ああ、タイガーショットね。それ、「バカヤローっ!」て親に怒られるやつだ(笑)。
TAKE そうそう、そういう小学校時代でした。それで中学に入った頃にJリーグが開幕しました。印象的なのはそのシーズンのアウォーズでMVPのキング・カズが巨大なバルーンの中から「ポー!」と出てきたシーン。あんな真っ赤なスーツを着て、僕も出てきてみたいなって思いましたよ。
菊池 あれはスゴかったですね。中学では部活でプレーしていたんですか?
TAKE そうだね。プロリーグが始まったし、サッカーやったら間違いなくモテるでしょと思って、いざサッカー部へ。小学校時代は不毛な青春時代だったから(笑)。そういえば当時はスイーパーシステム全盛期だったな。
KEIGO スイーパーシステムと言えば当時はドイツね、ドイツ!
菊池 (フランツ・)ベッケンバウアーがリベロ(スイーパー)システムを確立したと言われていますからね。
TAKE そこに抜擢されたんだけど、なぜなら中1の時に背が高かったんだよね。
菊池 中1で大きいというと170センチくらいですか?
TAKE そう、今と変わらないくらい。つまり中1から伸びなかった……(笑)。というわけで中1からスイーパーとしてレギュラーでやっていました。だからその反動で今は攻めのポジションをやりたいんです(笑)。
菊池 なるほど。当時はそのポジションでどんなプレーをしていたんですか?
TAKE ちょうどその当時「超機動暴発蹴球野郎 リベロの武田」というマンガが始まって、その中に「バズーカ・チャンネル」という技があるんですよ(笑)。
KEIGO ははは、懐かしいな!
TAKE 無茶苦茶なサッカー漫画のはしりだった。
KEIGO ある意味、「リベロ」っていうポジションをバカにしているからね(笑)。
TAKE でもスゴイんだよね。一番後ろからオーバーラップしたりロングシュートを打って決めちゃったり。そういう意味では主人公の武田が俺の目標とする選手で、「俺もリベロとして点を取りたい!」と思っていた。
菊池 そうなんですね。それで実際に点を取れたんですか?
TAKE これには中3の最後の大会での忘れられないほろ苦い話があるんです。浦和という土地柄もあって周囲の高校のレベルが高い一方でうちは弱小だったんですけど、「負けたら終わりだし最後くらいは頑張ろうよ」って一丸となって臨みました。それで前半を0-1で折り返して、ハーフタイムで「1勝しようぜ」って結束して後半に同点に追い付いたんです。初めて勝てるかもしれないという状況にチームも自分もさらに盛り上がっていたら、最終ラインでボールを奪えて、「よっしゃー! キター! これはもうリベロの俺が行くしかない!」ってそのままドリブルで持ち上がって……ハーフウェーライン辺りで取られて、点を決められちゃった(笑)。
KEIGO わあ、戦犯になっちゃった(笑)。
TAKE それが俺の最後のサッカー(笑)。まさに辞めるキッカケだった。
KEIGO それはほろ苦すぎだ(笑)。
TAKE だから中学時代の仲間は口をそろえて言うよね。「あの時、お前が上がらなければいいムードで逆転して勝てたかもしれない」と。これが俺とサッカーの別れ。
KEIGO なんか切ない話になっちゃった。
菊池 リベロの武田にはなれなかったんですね。
TAKE バズーカ・チャンネルのチャンネルがちょっと合わなかったね。

高校時代は甘い“特典”に誘われアメフト部へ

菊池 そういえば、日本代表で活躍した井原正巳もリベロでしたね。
TAKE そうだ、アジアの壁! リアルタイムで見ていましたよ。
菊池 出会った頃からずっとFWで点取り屋の印象なんで、後ろのポジションだったのは意外です。
TAKE 意外とDFラインを上げるのとかも得意ですよ。
菊池 えっ、センターバックもできるんですか!?
TAKE 実ははできます! フットサルもフィクソの方が落ち着いてプレーしていたりしますからね。
菊池 確かに! 守備の軽さはないですし、チームのバランスを取っていますよね。
TAKE バランスを見ながらプレーするというのは中学3年間のリベロの経験が生きているのかも。というわけで、自分からは以上です!
KEIGO 何の報告なんだ(笑)。
菊池 いや、ちょっと待ってください! 高校時代は?
TAKE 高校はアメフト部に!
KEIGO あっ、アメリカの方ね(笑)。
TAKE そう、フットボール違い。手を使う方のフットボールへ(笑)。そしてサッカーをしていたということでキッカーとして起用されました。「蹴れるんでしょ!」って言われて。
菊池 サッカーでのほろ苦い経験を乗り越えるようにアメリカンフットボールへと行き着いたわけですね。
TAKE そうそう。でもでもキツすぎて1年で辞めましたけど(笑)。
一同 (爆笑)。
菊池 それにしてもアメフト部に入部した理由はなんだったんですか?
TAKE 男子校だったんですけど、大会に出ると姉妹校の女子校からチアリーダー部が応援に来てくれるってことを仮入部の時に聞いたんですよ。しかも他の部活にはそんな“特典”はないっていうし、「こんなありがたい話はない! さすがアメリカだ! 渡米するしかない!」と入部しました。しかも、サッカー部は結構厳しいと聞いていて、アメフト部は一番最初に練習が終わるっていうことだったのでなおさら。
菊池 しかし蓋を開けてみたら……。
TAKE アメフト部が一番最後まで練習をやる部活だった(苦笑)。ナイターがあったからいつまででも練習できちゃうんですよ。そのくせ試合では全然勝てない、チアリーダー部も来ない、先輩は超怖い、最後まで練習する……っていいことが一つもない(笑)。
KEIGO 人ってこうやって騙されるんだね(笑)。
TAKE プリクラも撮れないし、合コンもできないし、1年生、2年生のうちは先輩の下僕のような扱いだし(笑)。
菊池 まさに踏んだり蹴ったりですね(笑)。
TAKE そんな中、中学校から一緒に上がった友達がアメフト部を辞めることになり、「お前は本当に忍耐力がないな!」なんて言いながら先生に伝えに行くのに付き合ってあげたんです。そしたら友達が伝えた後に「で、お前は何だ?」と先生に聞かれ、思わず「僕も辞めます」と(笑)。でも、「お前は一週間考えてみろ」と言われました……。
菊池 見込みがあったんですね!
TAKE 見込みがあったというよりも、絶対にふざけてるんだろうと思われたんじゃないかな。でも一週間後に「やっぱり辞めます。意志は固いっす!」と伝えに行きました。それがアメリカンフットボールとの別れですね(笑)。
KEIGO 早えな!!
TAKE サッカーとの別れから1年後にアメフトとの別れが待っていた……。

唐揚げと恋愛とバンドと

菊池 その後の高2以降はどうされていたんですか?
TAKE 高2はガストとの出会い!
KEIGO くだらねえ(笑)。
TAKE ガストのアルバイトで働き、厨房でフライヤーの担当になって唐揚げやポテトなどを揚げてました(揚げ方のテクニックを3分ほど延々と語る)。
KEIGO 何の話だよ(笑)!!
菊池 まさに唐揚げとの出会い。
TAKE いや、出会いは唐揚げだけじゃないんですね。初恋はそこですよ。ガストですよ。
KEIGO 恋愛話なんか聞きたくねえよ!
TAKE いやいや興味あるでしょ、ROOTSの読者の皆さん!
KEIGO ないない、全くないって。
TAKE サッカーを始めたキッカケが「モテたいから」って人も多いだろうから参考になるかもよ。
KEIGO いやガストじゃなくてもいいじゃん。それにもはやサッカー話じゃないじゃん(笑)。
TAKE イタリアンハンバーグとかあるし、セリエAにも話が近付くよ。
KEIGO くだらなすぎる(笑)。
TAKE すみません。じゃあ話を戻します。
菊池 というわけで、高2、高3はガストと出会って別れたわけですね。
TAKE いやいや、ガストとバンドですよ!
菊池 おっ、ようやく音楽の話(笑)。バンドはいつから始めたんですか?
TAKE 中3から、兄弟でX JAPANのコピーをしていて、高校の時もバンドを結成したのと並行して兄弟で一緒にバンドをしていました。アメフトとの別れがなければ今のバンド人生はなかったな。
KEIGO ちょっと今につながり始めた。
菊池 もしアメフトをずっとやっていたら?
TAKE アメフトで渡米していたでしょうね(笑)。
菊池 KEIGOさんはいつからバンドを始めたんですか?
KEIGO バンドはFLOWが最初だから、KOHSHIに誘われていなかったら音楽をやっていないと思う。
TAKE KEIGOくんは客だったんですよ、最初。
KEIGO そうそう、普通にTAKE兄弟がコピーバンドをやっていて、KOHSHIは高校の陸上部の友達だった。それで友達がライブハウスでライブをやるってことで行ったのが最初で、それからKOHSHIがライブをやる時はほとんど行ってたんじゃないかな。
TAKE KEIGOくんは誰よりも「Xジャンプ」が高かったんですよ(笑)。
菊池 身体能力が高かったんですね。
TAKE 身体能力はもともとね。親父が役者さんなんですよ。
KEIGO 関係ねえだろ(笑)!
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XジャンプのスキルとノリでFLOWに加入

菊池 ではKEIGOさんが音楽を始めたのは19歳くらいですか?
KEIGO いや、大学3年生かな。ずっとライブに行っていて、TAKE兄弟に「オリジナルやりなよ!」と言ってました。そしたらKOHSHIとTAKEが2人でオリジナルを作って、その曲ができた頃にライブに誘われて、友人として見に行ったら、なぜかバンドに誘われて……。
菊池 それまでKEIGOさんは全然歌ってなかったんですよね?
KEIGO そうなんだよ。なんかその曲の中に息継ぎがなかったんだって。あまりにも詰め込みすぎて。
TAKE 1人じゃ歌えないってことになったんだよね。
KEIGO それで誰に歌ってもらうかとなった時にあいつはノリがいいからと抜擢されたらしい。
菊池 そんなひょんなところから出てきた話なんですね。
TAKE ノリは良かったですよ、ホントに。誰よりもXジャンプは高かったですから!
KEIGO それで誘われて入ったんです。
菊池 KEIGOさんのもとに「FLOWのボーカルに当選した」っていう電話が掛かってきたんですよね?
KEIGO そうそう、まさにそれ。
TAKE ライブをやることはもう決まっていて、「どうしようか?」って考えていて、兄弟2人は実家暮らしだったんですけど、リビングから電話した記憶があります。それで「あっ、大丈夫だったよ。やった!」って。
菊池 それがキッカケで、ボーカルとして今でもずっと続けているってすごいですよね。
TAKE 人生は本当に何があるか分からないよね、大してサッカーもやってなかったしね。
KEIGO 当時は本当に何もしてなかったからね。
TAKE 確か、印刷会社に就職しようとしてたんだよね。
KEIGO そうだよ、最終面接までいってたからね。
TAKE 何の経験もないのにそれを蹴ってバンドに入って、ただのバカですよ、単純に(笑)。
KEIGO ホントにそうだよね。誘われて「いいよ!」って言ったけど、まさかその時はこれで飯を食っていくほど本気でやるとは思ってなかったし。
菊池 趣味のような感じだったんですか?
KEIGO なんか面白そうだくらいのノリだったのが、そのうち「本気でやろう」となっていって、でも「ちょっと待ってよ」って考え出した。でも別に他にやりたいことがあるわけではないし、就活も何となくやっていたくらいで、「俺は絶対に印刷がしたい」とか思ってはなかったからね。
TAKE 「俺は素晴らしい印刷をするんだ! 刷り上がりを最高にするんだ! 同じコピーをいっぱいとるんだ!」
菊池 職人じゃないですか(笑)。
KEIGO そんなことも思ってなかったし、ちょっとやってみようかなって。うちの親父が、「30歳までやってダメだったら辞めるのであればやってみたらいい」と言ってくれて。役者だった親父も、その舞台を目指して同じような時期があったらしいんだよね。
TAKE こいつの親父もちょっといっちゃってる人で(笑)。
KEIGO おいおい、やめとけやめとけ、人の親父だぞ(笑)。
菊池 ははは(笑)。
KEIGO でもそうやって親父が言ってくれたからやろうかなと思った。
TAKE まあ、ゆとりのはしりですよね(笑)。
KEIGO だからやめとけって(笑)。
TAKE やりたいこともなく……。
KEIGO 流れに流されてきた……。
TAKE まさにFLOW(笑)!
KEIGO だからみんな流されてもいいんだよっていうこと。
TAKE 抗わなくたっていいんだよ(笑)。
菊池 なるほど(笑)。KEIGOさんは大学時代に音楽もサッカーも始めて、TAKEさんは大学の時は何をしていたんですか?
TAKE 福祉の勉強をしていました。
菊池 えっ、福祉?
KEIGO 腹立つことになんか真面目な道に進もうとしてたんだよね。
TAKE 心理学に興味があったり、小学校の時の先生の影響で教員を目指していた時期もあったけど、高校を卒業するタイミングでKEIGOくんと同じでやりたいことも特になかった。それに音楽で食べていけるなんて思ってもいなかったので、親に「大学だけでも出て」と言われて大学に進学しました。ただその大学は教員免許を取れないところだった……(笑)。
菊池 入ったけどなかったんだ(笑)。
KEIGO 痛恨のミスだよね。
TAKE つまり、てっきり先生になるもんだと思って勉強を始めたらどうやら教育課程がないから教員免許は取れないと。でも福祉の職場では働けると言われて、カウンセリングや心理学を専攻して、精神病棟にも白衣を着て研修に行かせてもらったりしましたよ。
菊池 そちらの道に進もうとは思わなかったんですか?
TAKE そこでいろいろ勉強させてもらって、今は音楽で精神を癒しているということに(笑)。というわけで、結果的に先生になったかな。
KEIGO なったってことにすんじゃねえよ(笑)。
菊池 形は違えども先生になったと(笑)。
TAKE そう、先生と呼ばれるようになったのかなと。
KEIGO 全然呼ばれてねぇよ!!
菊池 ところで大学の時はサッカーはしていなかったんですか?
TAKE 中学でサッカーと別れてからはほぼ蹴っていないですね。大学では音楽をやっていましたから。それで卒業のタイミングでインディーズが決まったんです。

 ようやくFLOWがデビュー目前ということで(笑)、この辺で後編へとつなごう。まさに流れに身を任せるような世間ばな……フットボール談義はこの後、どんな逸話へと漂着するのか。いや、果たして流れ着く先はあるのだろうか。一つ言えるのは、「後編も見逃せない」ということ。ご覧の皆さんにとっては、もはや電車だったら終着駅へ、お昼休みはとうに終わってしまうほどの長丁場になっていることは間違いないが、でも引き続き気楽な気持ちで3人の世間バナ……愛あるフットボール談義をお楽しみいただきたい。そう、流れに身を任せるように……。
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KEIGO(FLOW)
1977年7月1日生まれ、東京都出身。FLOWのボーカルを担当。
TAKE(FLOW)
1978年8月31日生まれ、埼玉県出身。FLOWのギターを担当。
FLOW
ツインボーカル、ギター、ベース、ドラムの5人組ミクスチャーロックバンド。兄弟であるKOHSHI(兄、Vo)、TAKE(弟、G)が1993年から音楽活動を始め、1998年にFLOWを結成。99年にKEIGO(Vo)、GOT’S(B)、2000年にIWASAKI(Dr)が加わり現在の形に。03年にシングル「ブラスター」でメジャーデビューし、以降数多くのヒット曲を発表。圧倒的なライブパフォーマンスで人気を博し、国内のみならず世界各地のフェスからもオファーを受けている。現在、世界8カ国19公演におよぶ初のワールドツアー「FLOW WORLD TOUR 2015 極」を敢行中。詳しくはオフィシャルHPをチェック!
http://www.flow.mu





菊池康平(きくち・こうへい)

1982年7月27日生まれ、兵庫県出身。プロサッカー選手を目指して学生時代と会社員時代の夏期休暇などを利用し12カ国に挑戦。会社を1年休んで挑んだ13カ国目のボリビアでプロ契約を果たす。飛び込みで現地のチームと交渉し、テストを受ける道場破りスタイルを得意とする。2014年6月に再度プロ選手になるため、9年間勤めた会社を辞めて海外へ渡るも、ラオスで犬に襲われ緊急帰国。その後もインドで何かに噛まれて入院し、またも志半ばで帰国。日本ではアーティストの友人たちと結成した「危険なカオリ」というフットサルチームの幹事を務める。

ライター『菊池康平』の記事