今井優輔  加藤未央 
2015年03月22日

政治家×フットボールという異色の挑戦
松本市議会議員を目指す今井優輔の物語②
「橋下市長、村上市議会議員との出会いが衝撃的すぎた」

政界においては“弱冠”と言ってもいいはずだ。26歳の若者が、長野県松本市の市政に挑戦している。幼少期にサッカーと出会い、学生時代に技術と精神面を養った。夢を追い、そして挫折した。その経験を経て、這い上がる力を得たのだろう。今井優輔という男は、未来のフットボールと政界の架け橋になるかもしれない。これはまだ見ぬストーリーの序章だろうか。彼の異例ともいえるチャレンジを、そして彼のルーツを探っていく。

text by Mio KATO
photo by Yoshinobu HONDA

文=加藤未央

 彼が政界へと挑むきっかけを、順を追って紐解いてみることにした。政治というと議会の場でうつらうつらと居眠りしているおじさん方のイメージが浮かんでしまうけれど、政治の世界でスポーツを通して、ましてやサッカーを通して地域復興を目指しているなんて、そんな面白そうな話を聞かないわけにはいかない。

政治家って格好良い、しかも25歳で出馬できるってことで決めた

加藤 起業されてから今に至るまではそんなに時間は経っていないですよね。その間の自分の成長だったり周りの変化ってすごいことだと思うんですけど……。
本田 確かに。言ってしまえば“ただの学生”が起業したことによって付き合う人も一気に変わると思うし、同じ26歳でも社長業、ましてや政治に挑戦する人なんてめったにいないですよね。そんな中で自分から見えている景色って大きく変わったんじゃないですか?
今井 そうですね。知れば知るほど見方は変わりますね。それこそ意見が真逆になることもあります。自分の中で影響が大きかったのは、起業と世界一周、それに日本一周。あと、政治家の秘書もやっていたので、それも大きかったです。大阪の橋下徹市長の下で活動されている村上栄二市議会議員の秘書をやってたのですが、それが自分の中で大きな転機になりました。
加藤 なぜ政治家の秘書をやろうと思ったんですか?
今井 世界一周をしている中で、ブラジルやタイでデモに出くわす機会があったんです。世界情勢と政治ってものすごく近かったりするじゃないですか。それでもっともっと知りたいと思ったのがきっかけでした。じゃあどこに行って勉強しようかなと思った時にパッと頭に浮かんだのが橋下徹さんだったんです。それで大阪に行こうと思って共通の知り合いから村上栄二先生を紹介してもらいました。その出会いが衝撃的すぎて、一度は東京に戻ったんですが、一週間後にはバック一つ持って大阪に戻り、村上先生に「秘書をやらせてください」とお願いしていました。
本田 ということは、最初から政治家の秘書をやろうと思って大阪に行ったわけではなく、まずは直接会って話をさせてもらおうという感じだったということですね。
今井 そうです。
本田 そうしたらその世界が衝撃的で、自分のいるところはここだと思って大阪に戻った、と。
今井 勉強するならここで徹底的にやりたいと思って。政治のことは全く分からないゼロからのスタートでした。
本田 それでも、政治にはもともと興味があったんですか?
今井 いえ、政治家になりたいと思ったのは、20歳の時に25歳で出馬できるということを知ったことがきっかけです。それまでにお金と時間を作って出馬できるようにしようと思いました。
加藤 いや、ちょっと待ください。25歳で出馬できると知ったからといって政治家になろうと思う人は少ないと思うんですけど、なんでなろうと思ったんですか?
今井 ハッキリ言って自分のエゴですね。「こうなってたらいいな」という自分のビジョンです。当時は、25歳の時にはこうなって、30歳の時にはこうなってという一つの目標にすぎなくて。今となってはいろいろと勉強して政治の大変さを体感したので、そんなことは口が滑っても言えないんですけど……。
加藤 でも、今井さんの中で政治家という道が魅力として引っ掛かったからこそなりたいと思ったんですよね? 例えば目標を立てる中でお金と時間を自分でコントロールできるようになりたいってことだったら、それこそ企業の社長でもいいし、別の選択肢もいっぱいあると思うんです。その中で政治家を選んだのはなぜなんですか?
今井 それは自分の中で政治家がヒーローだからですね。ヒーローって格好良いじゃないですか。みんなの代表に選ばれた人が法律を作ったりお金の使い道を決めたりいろんなことをやっていて、「すごいな、格好良いな、そうなりたいな」と思ったのがきっかけです。単純に、「政治家って格好良い」。その意味で、社長って誰でもなれるじゃないですか。でも政治家は選ばれないとなれないですよね。なりたくてもなれない、というか。
本田・加藤 やっぱり一般的な人と考え方が違いますね。
今井 例えば明日ブラジルに行けって言われたら行きます。予定があるけど、チャンスを逃したくないので。両親や周りからは理解を得られないですが(笑)。やると決めたら止められないです。

「松本ってなんなの?」の問いに自信を持って答えられる街に

加藤 話は変わりますが、最近泣いたことってありますか?
今井 ありますよ。大阪で秘書をやっている時はきつかったですね。苦しかったです。大阪の市民に「お前なんて政治家になれるわけがない。無理だし迷惑だから帰れ!」と、喫茶店などで言われたりもしました。それに、村上栄二先生や橋下徹市長と自分を比べてしまって劣等感を感じて、当時は自分を否定したり人目を気にするようになってしまいました。今はそこを乗り越えて、「自分にも良いところがある」と思えるようになりましたけどね。今の全世界の人口は70億人を超えたじゃないですか。だから「70億分の1になりたい」って思います。埋もれないように。まぁでも大阪はきつかったですね……。
本田 村上市議会議員や橋下市長から掛けられた言葉で、印象に残っている言葉はありますか?
今井 お2人の言葉じゃないんですけど、「北斗の拳」の原作者である武論尊さんが書いた「サンクチュアリ」という漫画に自分が影響された部分があって、村上先生から武論尊さんを紹介していただいたのですが、武論尊さんから「死ぬこと以外かすり傷」って言われたんです。その言葉で「なんてちっぽけなことで悩んでたんだろう」と思えるようになりました。心に染みましたね。
本田 「死ぬこと以外かすり傷」ってすごいですね……。またちょっと話題は変わりますが、政治家になれたとして、そこでの活動とサッカーに関わる中でやりたいと思っていることはうまくリンクするものなんですか?
今井 それはリンクする部分はありますね。行政と一体にならないとできないことって多いんです。例えば長野県のサッカースクールの問題点の一つに、松本山雅FCというJ1のチームが現れてサッカーを始める子どもは増えましたが、その一方で練習場所がないことが挙げられます。松本は雪が降るので外でサッカーをできなくなる時期があるのですが、それに反して松本市内でサッカーができる体育館が4つしかないんです。その4つを小学校、中学校、高校、社会人が取り合っている状況なんですよ。自分が高校の時に清水に行って一番驚いたのは、旧清水市はすべての小中学校にナイター設備が整っていたことなんです。松本でもナイター設備のあるところはありますが、暗くてとてもじゃないけど練習はできません。同じ日本であるにも関わらず、松本と静岡の差を体感しました。実際に静岡は“サッカー王国”と呼ばれていて、行政が一体となって静岡のサッカーをバックアップしているんです。サッカー、というかスポーツって平等だからいいのに、平等じゃないことに違和感があって。同じ日本人なのに不平等というか……しかもそれは行政が動かせる範囲のこと。だったらそこでもっと平等性を保てるように自分が代弁して行政でやりたいな、と。
加藤 ただ、静岡でそれだけサッカーの設備が整っているのは、それまでの静岡県の実績があるからですよね。以前、内田篤人選手に「なんでサッカーを始めたんですか?」と聞いたら「静岡人だから」と言われて、静岡でサッカーをすることはそれだけ当たり前なんだと思いました。だから設備も整ってるし行政がバックアップしてるんだと思いますが、じゃあ他県を見た時に同じように整ってるかというと「神奈川県民だからサッカーやってます」とか「北海道民だからサッカーやってます」とかって聞いたことがないんですよね。だから長野県としてそういう設備を充実させていきたいのなら「長野=サッカー」となるような、有名な選手を輩出するとか育成がうまいとか、そういうことを目標としていかないと難しいのかなと思うんですが、そういうことも考えていらっしゃるんですか?
今井 まさしくその通りですね。サッカーだけじゃなく「スポーツだったら松本だよ」ということを掲げていきたいです。標高が高いから夏だったら避暑地になるし、冬だったらスキーやスノーボードもできます。今日だって自分が松本から(都内へ)来たくらいだからアクセスも良いので、環境としては良いんです。逆に言うと、今って「松本ってなんなの?」と聞かれた時に答えられるものが少ないんです。だったら夢や希望のあるスポーツがいいんじゃないかと思っています。
加藤 スポーツで松本市の振興を図っていくというようなことですね?
今井 そうです。

 なるほど、国内におけるフットボール環境は、確かにそこの地域に住んでみないと分からない差がある。それを実際に体感したからこそ改善していきたいという思いは、フットボールに情熱を持つ人であれば当然なのかもしれない。今井さんにとってそれは、長野県であり、地元・松本市に持つ愛着でもあるのだろう。次回は、その辺りに踏み込んでみようと思う。

今井優輔(いまい・ゆうすけ)
1988年5月19日生まれ、長野県松本市出身。小学1年生の時にサッカーを始め、高校では静岡県の名門・清水商業高校に進学するも、高校でサッカーを断念。しかしサッカー選手を支援するという新たな夢を抱き、大学在学中に起業して法人を設立。卒業後は世界30カ国、日本全国47都道府県を視察で巡った。2014年には出資者、COプロデューサーとして映画を製作し、同年に大阪市議会議員秘書に就任し政治家秘書として現場で研鑽を積むなど異色の経歴を持つ。現在は、「ふるさとの未来」に大きな不安や危機感を覚え、地元の松本で市政に挑戦している。195センチの長身で、田中隼磨(松本山雅FC)はジュニアチーム時代の先輩にあたる。株式会社トラオムジャパン代表取締役社長、NPO法人セダックサッカースクール理事長。





加藤未央(かとう・みお)

1984年1月19日生まれ、神奈川県出身。 2001年に「ミスマガジン」でグランプリを獲得し、05年には芸能人女子フットサルチームにも所属。07年から09年まで「スーパーサッカー」(TBS)、09年から15年まで「スカパー!」 のサッカー情報番組「UEFA Champions League Highlight」のアシスタントを務め、Jリーグや海外サッカーへの知識を深めた。現在は、ラジオ番組「宮澤ミシェル・サッカー倶楽部」などにも出演し、フットサル専門誌「フットサルナビ」でも連載中。15年4月からオフィシャルブログ「みお線」もスタートした。http://ameblo.jp/mio-ka10/

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