今井優輔  加藤未央 
2015年03月10日

政治家×フットボールという異色の挑戦
松本市議会議員を目指す今井優輔の物語①
「自分の最大の武器は恥をかけること」

政界においては“弱冠”と言ってもいいはずだ。26歳の若者が、長野県松本市の市政に挑戦している。幼少期にサッカーと出会い、学生時代に技術と精神面を養った。夢を追い、そして挫折した。その経験を経て、這い上がる力を得たのだろう。今井優輔という男は、未来のフットボールと政界の架け橋になるかもしれない。これはまだ見ぬストーリーの序章だろうか。彼の異例ともいえるチャレンジを、そして彼のルーツを探っていく。

text by Mio KATO
photo by Yoshinobu HONDA

文=加藤未央

あまりにも素晴らしい経歴を持つ、でもちゃんと今時の26歳

 扉を開けて入って来た今井さんを、少々値踏みするような目で見てしまった自分がいた。それは初めて会う前に聞いていた「今井優輔」についての情報が、あまりに“できすぎたパッケージ感”たっぷりだったからだと思う。

「長野県松本市在住、身長195センチ。学生時代にサッカーを経験し、大学在学中に起業。現在は政治の世界を目指して活動を続け、ここ数年で世界一周と日本一周をやってのけた26歳」

 これだけの情報を持って偏見なしに取材対象者を見る目を、私は持ち合わせていなかった。けれど、インタビューを始めて5分も経たないうちに、なにか私の中で構えるものがなくなった。それはたぶん、今井さんと話している中で彼を「若い」と感じたからだ。年齢的なものではなく、幼さを含む若さを感じさせる今井さんを前にして、ちょこっとだけ“できすぎたパッケージ感”に過大な期待をしていた自分にガックリし、ちょこっとだけホッとしていた。

 今回のインタビューの主旨を本田編集長から今井さんに説明している中で、今井さんの口から驚くようなワードが発せられた。

本田 ゆくゆくは(松本市)市長を目指しているんですよね?
今井 はい、まずは松本市議会議員になって、徹底的に勉強をしていつか松本市長選挙に出たいと思っています。僕は2025年から30年に大不況が来ると思っているので、なんとしてもそれまでにしっかりと力を付けます。

 今井さんのインタビューそっちのけで「大不況が来る」ことについて聞きたくなってしまったけれど、ここは順を追って今井さんという人物を掘り下げることにした。

今井優輔とは、サッカーにハマり、サッカーを諦め、サッカーを仕事にした人物

 長野県松本市生まれ。小学校1年生の時に当時の担任に「体力が有り余っているから何かスポーツを」と勧められてサッカーのクラブチームに加入。そこからサッカーに没頭し、当たり前のようにプロサッカー選手になることを夢みていた。

 高校は静岡県に渡り、清水商業高校サッカー部に所属。親元を離れてまでしてサッカーに打ち込んだが、苦しさのあまり挫折しサッカー選手という道を断念した。けれど自分自身がなれなかったプロサッカー選手を志す人を応援したいという気持ちから専修大学に進学し、本人いわく「徹底的に」勉強をして、大学在学中に起業。そして現在は2つの会社の代表を務めている。一つは長野県松本市を中心としたNPO法人のサッカースクール、もう一つは海外クラブへのサッカー留学を斡旋、支援する会社だという。

 自らの口で語ってくれた彼の生い立ちは、まるで綺麗なテキストを読むかのように簡潔だった。そんな教本を1ページずつ紐解くように、編集長と私は、彼の心の中にある思いを探っていった。

本田 サッカーのプロ選手を目指して高校に進学しながら、途中で諦めてしまったのはなぜですか?
今井 理由は2つあります。一つ目は、先輩との上下関係が厳しくてその中でうまく自分を表現できなかったことです。下宿先で2人の先輩と一緒に住んでいて、グラウンドだけではなく家に帰ってもそういう上下関係のある環境だったのですが、自分の殻を破れずに終わってしまいました。もう一つは、日本中から才能のある選手が集まる中で、才能の差は数倍だとしても意識の差は数十倍にもなるんですよね。その中で、自分が明確な意識を持って練習に取り組めなかったのが自分が伸びなかった最大の原因だと思っています。
加藤 殻を破れなかったというのは、具体的にどんな感じなんでしょうか。
今井 今だったら例えば自分の最大の武器は何かと考えた時に、「恥をかけること」だと思うんです。「20代のうちに徹底的に行動してチャレンジしていっぱい恥をかこう」という意識を大学時代に持ちました。ただ当時はミスが怖くて自分を表現できませんでした。今はそのことをすごく後悔していますね。
加藤 あまりしゃべらなかったりとか、先輩とコミュニケーションを取らなかったんですか?
今井 というよりも、限界まで追い込んで自主練習をしたり監督やコーチにアピールをできなかったりとか……。何よりも自分の最大の才能に気付けなかったことが大きかったです。身長が高いからヘディングをするべきなのに、自分の足りないところばかりに意識がいってしまっていました。
本田 ポジションはどこだったんですか?
今井 センターバックです。
本田 (清商は)レベルも高く部員も多いと思うので、その中で競争に勝つのは大変そうですよね。
今井 それでも、まだもっとやれることはあったと今でも後悔しています。
加藤 でも、そもそもなぜそこまでサッカーをやろうと思ったんですか? 小学生の頃に先生に勧められて始めたというのは分かりますが、そこから没頭できる何かが今井さんの中にあったと思うんですけど、それって何でしょうか?
今井 サッカーに限らないですが、スポーツって平等だと思うんです。お金を持っている持っていないに関係なく、頑張れば頑張っただけ自分の思いを形にできる。その上、お世話になっている両親に対して最大限の感謝を形にできるものだと思ったからですね。
加藤 ちなみに、どんなご両親なんですか?
今井 父は身長が高いのですが、あまりしゃべるタイプではないですね。その一方で母は横に大きくて(笑)、よくしゃべる大阪のおばちゃんみたいな感じです。自分は父に似ているのかなと。
本田 そうなんですね。高校でサッカーを諦めた後もボールを蹴ることは続けていたんですか?
今井 いや、もうやらなかったです。立ち直れないくらい、サッカーを二度とやりたくないくらいに自分を追い込んでしまって。だけどやっぱり何かを形にしたいという思いがあって、それで別の方法でサッカーに関わろうと思い、それが今の仕事につながっています。高校の時にそれまで積み上げてきたものを一度ゼロにされたというか、えぐられたというか。自信喪失してしまい、高校の時にリセットして一からやり直そうと思いましたね。県外から来たのに、何も残せなかったので……。
本田 今でも蹴りたくなったりはしないですか?
今井 それは自分でも意外なんですが、ないですね。それよりも今はサッカーをやっている子どもたちの力になりたいと思っています。高校の時は迷走していましたが、進路選択の際、明確に「スポーツビジネス」をやろうと思って、それで大学を経て今やっている2つの事業に至りました。
本田 大学で起業するって僕には想像もつかないような世界ですが、最初に立ち上げたサッカースクールという構想はどうやって生まれたんですか?
今井 サッカースクールって、指導者が一人いたらあとはサッカーボールさえあればどこでもできるんですよ。お店を開くとなったら初期投資や人件費、その他の費用もすごく掛かりますが、それと比べてサッカースクールは初期費用が掛からないビジネスだからやりやすいと思ったんです。東京でやるとしたらそうはならなかったかもしれないですが、長野県という土地柄、そこには参入しやすいビジネスでした。
本田 なるほど。では、スクールだけではなく、サッカーに取り組む子どもたちを海外に送り出すということを考え始めたのはいつですか?
今井 サッカー海外留学の斡旋は、大学卒業後すぐに行った世界一周の旅をしている最中に思い至りました。「日本人ってうまいんだ」ってことに気付いたんです。早い年齢で海外に出ればもっともっとチャンスになると思ったんですよね。
加藤 ちなみに、世界一周ってどこに行かれたんですか?
今井 ほぼ全部行きましたね。アジアから始まり、ヨーロッパ、南米へ行って日本に帰ってくる、という。
加藤 30カ国って伺いました。
今井 そう、30カ国です。それで日本一周は、最初はホテルに泊まって新幹線を使って、というやり方をしていたんですけど、そのやり方だとお金がかかってしまって。これだときりがないし、選挙活動の資金がなくなってしまうと思ったので、途中から移動をヒッチハイクに変えたんです。
加藤 え! それって実際に止まってくれたりするものなんですか?
今井 ただ立って待っているだけじゃ逆の立場でも止まらないじゃないですか。だから観光客が集まるところに大きめの登山用リュックを背負って目立つ格好で行って、コミュニケーションを取りながらどこから来てどこへ行くのかを聞き出して、自分が行きたい方向と合ったら便乗させてもらえるように交渉するという手法を取っていました(笑)。
加藤 すごいけど面白そうですね! 私もやってみたい。
本田 いや、加藤未央が立ってたら止まるでしょ。むしろ「連れてって」って言えば誰か連れてってくれるんじゃないですかね(笑)。
加藤 いやいやいや(笑)。

 すでに人とはちょっと違う経歴を辿っているが、次回はさらに異色といえる部分、なぜ政界に挑戦しようと考えたのかに迫っていく。

今井優輔(いまい・ゆうすけ)
1988年5月19日生まれ、長野県松本市出身。小学1年生の時にサッカーを始め、高校では静岡県の名門・清水商業高校に進学するも、高校でサッカーを断念。しかしサッカー選手を支援するという新たな夢を抱き、大学在学中に起業して法人を設立。卒業後は世界30カ国、日本全国47都道府県を視察で巡った。2014年には出資者、COプロデューサーとして映画を製作し、同年に大阪市議会議員秘書に就任し政治家秘書として現場で研鑽を積むなど異色の経歴を持つ。現在は、「ふるさとの未来」に大きな不安や危機感を覚え、地元の松本で市政に挑戦している。195センチの長身で、田中隼磨(松本山雅FC)はジュニアチーム時代の先輩にあたる。株式会社トラオムジャパン代表取締役社長、NPO法人セダックサッカースクール理事長。





加藤未央(かとう・みお)

1984年1月19日生まれ、神奈川県出身。 2001年に「ミスマガジン」でグランプリを獲得し、05年には芸能人女子フットサルチームにも所属。07年から09年まで「スーパーサッカー」(TBS)、09年から15年まで「スカパー!」 のサッカー情報番組「UEFA Champions League Highlight」のアシスタントを務め、Jリーグや海外サッカーへの知識を深めた。現在は、ラジオ番組「宮澤ミシェル・サッカー倶楽部」などにも出演し、フットサル専門誌「フットサルナビ」でも連載中。15年4月からオフィシャルブログ「みお線」もスタートした。http://ameblo.jp/mio-ka10/

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