バルドラール浦安の高橋健介が、今シーズン限りでの引退を表明。12月12日に行われたFリーグ第32節、ホームゲーム最終戦の終了後にファン、サポーターの前で挨拶した。おそらく、脳裏をよぎる様々な感情のすべてを表現することなどできなかっただろう。それでも、実直な男の言葉は、フットサルへの愛と、自身を支えたすべての人への感謝の気持ちであふれていた。長きにわたりフットサル界の一線を走ってきた33歳が、“最後のホーム”で語った全文を、高橋の口調そのままに掲載する。
文=本田好伸高橋は最後のホームゲーム、Fリーグ第32節バサジィ大分戦で、とんでもないことをやらかした。前半から0-2とリードされ、追い掛ける浦安は味方のゴールで16分に1点を返すと、17分に技ありの一撃で試合を振り出しに戻した。相手陣内、左サイドの深い位置から中央へと切り込んでいき、その勢いに体が流されることなく右足を振り抜くと、シュートはゴール左隅へと突き刺さった。その光景を目撃した多くの者がきっと、「引退なんてもったいない」と思ったに違いない。トップコンディションで見せる高橋の真骨頂だった。
まさに“持っている男”は、自身が引退を表明した直後のゲームで、最後のホームで、大仕事をやってのけた。ホームに詰め掛けたファンとの歓喜を味わった。でもそのあと、高橋には思いもよらない出来事が待っていた。
後半が始まり、3分が経過した頃に相手を倒して警告を受けると、その数十秒後に、後ろからのスライディングでファウルし、この試合で2枚目の警告。その場にいた誰もが目を疑うような光景がそこにはあった。有終の美を飾るどころか、不完全燃焼での幕切れ。高橋は、無念にもピッチから退場した。なんて“持っていない男”なのだろうか。
試合はその後、奮起した味方が勝ち越し弾を挙げて3-2で勝利したが、そうした“波乱”があった上で迎えた引退の挨拶の舞台だった。浦安のホーム最終戦セレモニーがあり、塩谷竜生代表取締役に紹介される形でマイクを持った高橋は、感極まり、ところどころ声に詰まるシーンもあったが、そんな雰囲気も含めてその一言一句を感じてもらいたい。
「えー、退場しちゃいました(笑)。
本当に、Fリーグの舞台でいろいろな経験をさせてもらって、唯一退場だけはしたことがなかったので、最後の舞台で、唯一の経験ができたと思います。退場した後も試合を上(スタンド)で見ていましたけど、仲間が……このまま終われないっていう気持ちを……。
いろいろと(この場で話すことを)考えてきたんですけどね。そういう仲間と一緒に、これだけのいろいろな経験ができて、本当に幸せだったなと思います。本当はこれでまだ終わりじゃないって言おうと思ったのですが、(退場したために次の最終節は出場停止になるために)Fリーグは終わってしまったので、次は全日本選手権でもう一回、予選を勝ち抜いて、(決勝ラウンドが行われる舞台の)代々木に戻ってきて、たくさんのサポーターの前でもう一回プレーしたいと思います。その気持ちが、より高まった試合になりました。
今、塩谷社長から話がありましたけど、12年前にバルドラール浦安の前身のチーム、プレデターに練習生として参加させてもらって、どこにでもいる普通の大学生だったと思います。いろんな先輩方、サポーター、それから同期で同じように入ってきた仲間たち、後輩たちに刺激をもらって、一歩一歩階段を上って、いろんな夢を叶えることができたと思います。
本当にフットサルと出会って、人生が変わったと思います。そのなかで本当に才能とか、そういったものは、フィジカル的にも、技術的にも自分より上手な選手がいっぱいいたなかで、人の縁とか運に恵まれて、自分自身は少しずつステップアップできたと思います。
階段の上から引き上げてくれた、今まで出会った指導者の方々や、今は(クラブの)社長ですけど、(プレデターでプレーを始めた当時、チームを指揮していた)塩谷監督、仲間たち、それから辛いとき、うまくいかないときも下から支えてくれた家族やスポンサーの方々、そして何より、大きな声援で常に僕らを支えてくれたサポーターの皆さんのおかげで、こうしてここまでこれたと思います。本当に感謝の気持ちしかありません。
…………すみません。この会場でプレーするのは今日が、最後の日です。正直、すごく、寂しいです。それでもここでたくさんの感動や、それから悔しい思いを皆さんと共有して、それを乗り越えてこれたこのたくさんの時間というのは、自分にとって本当に大きな宝物になったと思います。本当にありがとうございました。
最初にも話しましたけど、全日本選手権で僕はもう一回得点を取って、皆さんと歓喜のなかで、終わりたいと思っています。そして今までたくさんの子どもたちと自分の夢について語ってきました。そこで「Fリーグ優勝」と常に話してきましたので、(今シーズンのプレーオフ出場の可能性は限りなくゼロに近いために)現実的にその夢を叶えるというのは、かなり難しいところはあるので、また、選手としてはその夢を追うのは終わりかもしれないですけど、また違った形でその夢を追い掛けられるように、帰ってきたいと思いますので、これからも応援よろしくお願いします。
名言を言います。『浦安の男で終わり……』、違います(笑)。覚えてきたんですけどね、もう一回言います。『浦安の男で始まり、浦安の男で終わりたいと思います』。長い間、たくさんの愛情と、声援をありがとうございました」
この最後の挨拶ののち、別会場で行われた試合の結果により、浦安のプレーオフ進出の望みは断たれた。すなわち、自身の言葉にもある通り、浦安でリーグ優勝を果たす夢はおろか、高橋がリーグ戦でピッチに立つ機会もなくなった。高橋はその現実に「未練はある」と言いながらも、「全日本でタイトルを獲って、やり切って終われるようにと思っている」と前を向いた。
自身が生まれ育った北海道に対する気持ちを持ちながらも、フットサル人生を支えた「浦安」で現役を退くことを決意した。浦和レッズ一筋で16年間Jリーグでプレーし、今シーズン限りで引退した鈴木啓太が引退セレモニーで用いたセリフ、「浦和の男で始まり、浦和の男で終わります」を引用した、その思いはまさに“浦安愛”にほからない。
決して、ハッピーエンドだけがドラマではない。現実は思いのほか、酷だったりもする。それでも、フットサル界の階段を着実に駆け上がってきた男に、最後に花を持たせてあげてもいいような気もする。周囲の人々に愛され、目標にされ続けたプレーヤーが最後に見るのは、果たしてどんな結末なのだろうか。“持っている”のか、“持っていない”のか。本当の意味で、有終の美を飾ることができるのか。高橋の、現役選手としての最後の瞬間まで目が離せない。
高橋健介(たかはし・けんすけ)
1982年5月8日生まれ、北海道旭川市出身。バルドラール浦安所属。
旭川実業高校で全国大会に出場し、卒業後は順天堂大学に進学。大学3年生のときにフットサルと出会い、サークルとして順天堂大学ガジルを立ち上げる。並行してプレデター(現バルドラール浦安)に練習参加して急成長を遂げると、2004年には日本代表に選ばれワールドカップ出場を果たした。07年のFリーグ発足初年度は浦安でプレーし、08年にスペインリーグ1部の強豪カハ・セゴビアへ移籍。スペイン3年目には、中心選手として同リーグ1部のグアダラハラでプレーした。11年に帰国して浦安に復帰すると、進化を遂げた姿を観客に披露するとともに、多くの経験を選手たちにも還元した。これまで何度となくケガに泣かされてきたが、今シーズンは「治り切らないケガ」の影響もあって6試合を欠場、満足のいくパフォーマンスを示せなかった。15年12月8日、クラブを通して今シーズン限りでの現役引退を発表した。
本田好伸(ほんだ・よしのぶ)
1984年10月31日生まれ、山梨県出身。 日本ジャーナリスト専門学校卒業後、編集プロダクション、フットサル専門誌を経て、2011年からフリーランスに転身。エディター兼ライター、カメラマンとしてフットサル、サッカーを中心に活動する。某先輩ライターから授かった“チャラ・ライター”の通り名を返上し、“書けるイクメン”を目指して日々誠実に精進を重ねる。著書に「30分で勝てるフットサルチームを作ってください」(ガイドワークス)