副編集長・加藤未央が自ら筆を取る本コラム、その名も『パンツを右足から穿くように』。サッカーとは歴史だ。サッカーがこの世に刻んできた歴史の数だけ、それを知る人たちが共有してきたものがある。どれだけ大きな舞台であっても、どれだけ有名な選手であっても、それに関係なく、求められるものは勝利だけではない「フットボールの魅力」だ。それを味わうための「目」こそ、見る人自身に求められているのだろう。
text by Mio KATO
文=加藤未央私はたぶん、サッカーに対して常に負い目を感じている。サッカーに関わる仕事をすればするほど、その思いは強くなっていくような気がする。プレーヤーじゃない分、見ることでしかサッカーの知識をカバーできない私にとって、サッカーは世界が共通に持つ“歴史”だと感じるからだ。
一つを例にとると、1986年に行われたワールドカップ・メキシコ大会の準々決勝アルゼンチン対イングランドの試合中に、ディエゴ・マラドーナの“神の手ゴール”が生まれたのは有名な話。たとえどの大会で何年に起きたかを知らなくても、「マラドーナの神の手ゴール」を知っている人はごまんといる。これほどまでに国境を越えて歴史を共有しているスポーツって他にあったかな……私が知らないだけかもしれないけど、ちょっと見付からない。
サッカーの歴史は既に刻まれていて、サッカーを好きな人の中にもその歴史は既に刻まれていている。今の私がどんなに追い付こうとしたところで、その時間に太刀打ちできるわけがないのだ。同じグループの中での一番の若手は、60歳になったところで一番の若手には変わらないといったところだろうか。勝ちたいわけじゃなくて、追い付けない自分を悔しく思う。
ただ、今の私でもできる一つのことはある。それは、「サッカーを見る目」を養うこと。仕事でUEFAチャンピオンズリーグという世界最高峰のサッカーを6年間見続けてきたことは、テクニックや戦術に詳しくない私でさえも、自分で思っているよりもずっとサッカーに対する知見を広げてくれたと実感する時がある。サッカーに対する何の難しい解釈も必要としない、UCLはただ単純にサッカーの面白さと興奮を私に教えてくれた。
“面白いサッカー”を知っていると、“面白くないサッカー”を見た時に「なんでもっと◯◯しないのか」と思うようになる。面白いサッカーとは、たぶんきっと勝つことではない。ヨーロッパのクラブチームで結果を残したのに監督がクビになるケースが多々あるのは、勝つのは当たり前で、さらにそのクラブらしい形で観客を楽しませるサッカーをしないとサポーターが納得しないからだ。
クリスティアーノ・ロナウドだろうがリオネル・メッシだろうが、らしくないプレーをした時や質の落ちたプレーをした時には遠慮なくブーイングが飛ぶ。それも大音量のブーイングが。目利きを相手にプレーするとはそいうことで、逆にいえば彼らをもっと魅了するために、選手たちはその輝くプレーにさらに磨きを掛ける努力を惜しまない。サポーターの見る目が選手を育てる環境にある、ということなのかもしれない。
少し古い話になってしまうけれど、8月の上旬に東アジアカップ2015が中国の武漢市で開催された。男子の出場国は、シード権を持っている日本、韓国、中国に、予選を勝ち抜いて決勝ラウンドに駒を進めた北朝鮮の4カ国だ。この大会で、日本は最下位だった。新しいスタイルを構築している真っただ中の日本代表の現状を無視して、結果だけを考えると残念で仕方ない。ただ、代表に強くなることを望むだけでは日本のサッカーに何か足りない気がするのだ。
私が感じている足りないピースは、サッカーを見る人の目が養われることに他ならない。どんなサッカーが私たちを楽しませてくれるのか、どんなプレーに目が釘付けになるのか、それを知った上で見るサッカーってもっと楽しく感じるものだ。
つまり何が言いたいのかと言うと、「もうすぐUCLが開幕する」ということである。
加藤未央(かとう・みお)
1984年1月19日生まれ、神奈川県出身。 2001年に「ミスマガジン」でグランプリを獲得し、05年には芸能人女子フットサルチームにも所属。07年から09年まで「スーパーサッカー」(TBS)、09年から15年まで「スカパー!」 のサッカー情報番組「UEFA Champions League Highlight」のアシスタントを務め、Jリーグや海外サッカーへの知識を深めた。現在は、ラジオ番組「宮澤ミシェル・サッカー倶楽部」などにも出演し、フットサル専門誌「フットサルナビ」でも連載中。15年4月からオフィシャルブログ「みお線」もスタートした。http://ameblo.jp/mio-ka10/