SFIDA  ブラインドサッカー  ブラサカ  倉林啓士郎  松崎英吾 
2015年08月17日

ブラインドサッカーの今とこれからを語る
「マイナーだけど結果が出てきているスポーツになった」(前編)
日本ブラインドサッカー協会 松崎英吾事務局長

2014年の世界選手権の日本開催が大きな話題を呼んだブラインドサッカー。障害者スポーツの価値を広げ、地位を高め、国内での礎を築いてきたこの競技の未来はどのような道を辿るのか。日本ブラインドサッカー協会の松崎英吾事務局長が、“ブラサカ”の今とこれからを語った。聞き手は、競技に欠かせないボール製作でタッグを組むSFIDAブランドの倉林啓士郎氏(株式会社イミオ代表取締役社長)。フットボールでつながる縁が紡ぐ、深イイ話をお届けする。

Interview by Keishiro KURABAYASHI
Photo by Takanori TODA

文=ROOTS編集部

メディアへの露出と地道な活動が世界選手権成功につながった

倉林 改めて伺いますが、2014年11月に日本で開催した世界選手権を終えてどのように感じていますか?
松崎 思った以上に成果が出たというか、結果を残せたという気がしています。もちろん、まだブラインドサッカーを知ってもらうという位置にいることに変わりはないですが、障害者スポーツ界において有料で観客を招いて行ったというのは大きなチャレンジだったと思います。
倉林 一番高いチケットが2500円でしたね。これはFリーグよりも高い金額だったりします。
松崎 たかだか2500円、されど2500円ですよね。安いチケットは500円でしたし、無料の試合もありました。今回、招待席はあまり出さなかった中、公式発表で有料チケットを購入された方が6300人いて、会場には約8000人近いお客さんに足を運んでいただきました。
倉林 試合自体は何日間の開催だったんでしたっけ?
松崎 大会は14日間でグループリーグと順位決定トーナメントの計34試合を行いました。日本戦以外の平日の午前中などの試合は全然入っていないんですけど、それでも日本戦を含めて、開幕戦と決勝戦は満員御礼でした。お客さんの中には、「障害者スポーツだし、ふらっと行っても入れるだろう」という人も多かったと思うのですが、開幕戦は本当に入れない方々で溢れてしまいました。会場の国立代々木競技場のコートには、そこを見渡せる丘のような場所があって、そこに入れなかった方がずらりと並んで見ていました。前日にテレビ東京系列の「FOOT×BRAIN」(フットブレイン)などで放送してもらった反響なども大きかったと思うのですが、僕らにとってはうれしい悲鳴でしたね。
倉林 やっぱりメディアへの露出が多かったことが大会成功の要因だと思いますか?
松崎 それは2つあると思っています。一つはそのメディア出演ですね。もう一つは、体験型学習の「スポ育」や企業研修など、実際にブラインドサッカーに触れ合う機会をこの4年間、地道にやってきた成果だと思っています。お客さんを見ても、そういった研修に参加いただいてお子さん連れでいらしている方を多く見掛けましたので。僕らだけでの集客には限度があるので、事前にブラインドサッカーに共感してもらえた方がいたことが大きかったと思います。
倉林 日本開催ということで運営面も非常に質が高く、過去の他国での世界選手権と比べても盛り上がり具合が相当アップしたんじゃないですか?
松崎 手前味噌ですが、かなりランクアップしたと感じています。

日本代表の次の課題はオフェンシブなサッカー

倉林 日本代表については、競技の質やレベルも上がってきているのでしょうか?
松崎 日本代表の現実的な目標としてはベスト4進出を掲げていて、結果は6位でした。ただし、準々決勝は0-0でPK戦負け、5位決定戦でも0-0でPK戦負けでしたし、全部で5試合を戦って失点はグループリーグでフランスに喫した1点だけです。なので、ベスト4を目指すという戦略を踏まえると監督が思い描いていたサッカーができたと思っています。日本が最も狙いとしているサッカーを示せたと。もちろん、結果を残さないといけない部分はあったのでそこは残念ですが、日本のサッカー自体は非常にいいものになってきていると思います。
倉林 その中でも課題として挙がっているのはどのような部分ですか?
松崎 やはり攻撃面ですね。現状では、世界のベスト4に入るようなチームとは開きがあります。だからこそ、そういったチームにはロースコアの展開にして1点を奪う、もしくはPK戦に持ち込んで勝つというのが基本的な戦略でした。1試合25分ハーフなので、50分の流れの中でしっかりと点を取って勝つためのオフェンシブなサッカーをすることが次の課題ですね。
倉林 攻撃陣の育成が必要なんですね。
松崎 そういうことです。
倉林 では、運営面での課題などはありましたか? あらゆる国が集まりますから、このチームは大変だったとか(笑)。
松崎 そうですね(笑)。今回、12カ国を招いて、ブラジルなどは2週間前から来日していたので、トータルで1カ月くらいは大会期間として僕らの管轄となり思った以上に世界大会の大変さはありました。ただこういった大会はそうそう経験できるものではないので、今大会でブラインドサッカー界が得た知見や経験を生かしていくことが大切です。障害者スポーツにとっては、東京2020オリンピック・パラリンピックが非常に大きな目標としてあるので、そこを見据えています。なので、僕らはいろんな国際大会にチャレンジしてきた一方で、これから初めて国際大会を招致しようとする他の競技団体もいるので、情報交換などをすることでちゃんとノウハウを生かしていきたいですね。ブラインドサッカーだけだと小さなカテゴリーですが、ある意味で僕らは他の競技団体の踏み台になれたらいいなと思います。
倉林 先ほど少し報道の話もありましたが、実際には大会期間でどれくらいのメディアに出演されたんですか?
松崎 出演した数というか、メディアを含めた広告換算では28億円くらい投資していました。目標としていた数字からすると悪いセールスではなかったですね。でもテレビなどにしても全然知らなかったのですが、1秒でいくらみたいな金額はめちゃくちゃ高かったです(笑)。でもそれらは視聴率に比例した金額換算だったりするので、そういった露出がすごく大事だということは改めて認識しました。
倉林 ほぼ毎日、何かしらの番組に取り上げられていましたよね。
松崎 そうですね。朝・夕・夜のニュースなど、土日も含めてあらゆる番組に出ていました。
倉林 そういった出演に対応する専任の広報もいらっしゃるんですか?
松崎 いますね。広報も大会期間中は4人が張り付きで対応していました。本当にそれくらいじゃないと回りませんでしたから。もともとは2名体制でやっていて、僕らから積極的にアプローチするものや取材に来てもらうというような形など、いろいろです。なので、開幕戦のメディア関係者は100人くらい来てもらっていたと思います。
倉林 普段、サッカーやフットサルに関わらないメディアの方もたくさんいらっしゃいましたね。
松崎 もともと、こうした障害者スポーツにはサッカーメディアも少なかったので、それを考えると、だいぶサッカー関連の脈は増えてきましたよね。開幕前日の11月15日に、フットブレインさんに取り上げてもらえるとは思っていなかったので、すごくうれしかったです。
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メダル獲得を狙う環境面は土台がまだ出来上がっていない

倉林 ブラインドサッカーの置かれている状況は、やはり大会前後で変化しましたか?
松崎 ちょっとマニアックな話になってもいいですか(笑)?
倉林 ぜひぜひ(笑)!
松崎 社会貢献事業みたいな領域で考えると、やっぱり「マイナーな舞台で頑張ってるね」というような目線から、「マイナーだけど結果が出てきているスポーツだね」という見え方になっています。世間的にもそうですけど、行政や政治家、代理店の方々の、競技への評価が変わったことが大きくて、また違うフェーズへと移行していくのではないかという期待もあります。もちろん、認知度はまだまだ低いんですけど。
倉林 確かに、スポンサーなども、これまでにない企業のロゴや看板などを見ました。
松崎 世界選手権のスポンサーについては、普段とは別に、単独の大会としてしっかりとセールスできましたからね。
倉林 競技の認知度も高まって、マイナー競技から脱してきていますよね。だからこそ、他の障害者スポーツの方々も、それを成功事例として参考にするなど、注目を集めています。
松崎 そうですね、ありがたいことに。非常にいい流れだと思います。
倉林 選手の置かれている状況にも変化があるのでしょうか?
松崎 それは技術面と環境面の両方であると思います。技術面では、やっぱり世界選手権を招致する国ですし結果を出さないといけないので、遠征の数などもだいぶ増やしました。これまでは遠征といえば大会本番だったので、登録枠ギリギリのコンパクトなメンバーでしたが、今回は親善試合などを増やして、育成世代を含めたメンバーで行きました。やっぱり目が見えない分、肌で試合を体感しないと分からないんですよね。海外の選手のリーチがどれくらい長いのか、当たりがどのくらい強いのかなど、そういうことを若い選手に経験させられたのは大きかったです。だからこそ、本番ではどの国と対戦しても選手が感じる意外性や驚きが少なく落ち着いてプレーできていましたし、初戦のフランスなんかは1年で2回ほど遠征したので、むしろ慣れていてやりやすい相手という印象でした。
倉林 それはすごいですね!
松崎 世界選手権の直前にブラジルと仙台で親善試合をして0-4で負けているんですけど、“いい負け方”をしたことで修正もできて、パラグアイなど南米の同じようなスタイルの国に対応して勝つことができました。なので、本番以外の環境が充実したというのは大きいですね。
倉林 そうですね。では選手の環境面では?
松崎 みんな働きながらプレーしているという、いわゆる企業スポーツ的な関わり方ですよね。企業で働きながら有給を取得していたり、年間10日までは「勤務」という形で送り出してくれる企業などがあります。ただし、限界はありますよね。本当に勝負するために毎日集まって練習していきたいというところでいえば、パラリンピックでメダルを獲得できるだけの環境面は、土台がまだ出来上がっていないと思います。
倉林 今はどれくらいの頻度で練習されているんですか?
松崎 代表活動でいえば、みんなで集まるのが月に一度の1泊2日から2泊3日の合宿で、あとは3月に遠征を一回行っています。
倉林 確かに活動自体は多くないですね。
松崎 やっぱり目が見えないので一緒にやって話しながら深めないと全然ダメなんですよね。健常者のサッカーでもチーム練習は大事ですけど、それ以上の意味があると思います。

松崎英吾(まつざき・えいご)
1979年生まれ、千葉県松戸市出身。日本ブラインドサッカー協会事務局長。
国際基督教大学を卒業後、一般企業に勤めながら、学生時代に出会い衝撃を受けたブラインドサッカーのサポートを続け、後に日本ブラインドサッカー協会(当時は日本視覚障害者サッカー協会)の事務局長に就任した。
日本ブラインドサッカー協会
http://www.b-soccer.jp

倉林啓士郎(くらばやし・けいしろう)
1981年6月2日生まれ、東京都大田区出身。株式会社イミオ代表取締役社長。
2004年に東京大学在学中に起業し、単身パキスタンに渡りサッカーボールの製造輸入を開始。現在はSFIDAやmitreなど、フットサルやサッカー用品の製造販売、フットサルコート運営などを手掛けている。





ROOTS編集部(るーつ・へんしゅうぶ)

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