後藤崇介 
2014年12月01日

ビーチサッカーとサッカーでプロを経験し
世界一を目指して日々奮闘する後藤崇介
「ビーチサッカーに魅せられて」

ビーチサッカーと出会い、後藤崇介の人生は大きく動いた。日本一に輝き、日本代表としてワールドカップでも活躍、日本人で初めて海外挑戦も成功させた。多くの経験を手にした後藤は、競技の発展と、世界一への強い思いを抱いている。ビーチサッカーに魅せられた男の、ルーツが明かされる――。

text by Yoshinobu HONDA
photo by Takasuke GOTO

文=本田好伸

サッカーからビーチへ

「沖縄が大好きだった」。海外でプロ選手になる夢を持ちつつも、沖縄の雰囲気に憧れて沖縄国際大学へ進学。在学中にかりゆしFCと契約した。転機は2006年、ビーチサッカーとの出会いが後藤崇介の人生を変えた。
 沖縄レキオスBSで第1回全国ビーチサッカー大会に出場して初制覇。「サッカーワールドカップで活躍したカレッカが監督をしていて、ブラジル代表の名手、ネネンもいた。プレーが衝撃的だったし、とにかく楽しくて、サッカーをしている場合じゃないと思った」。ビーチに転向した後藤は日本代表にも選出され、ビーチ界で一気に名を上げた。

ビーチからサッカーへ

 しかし09年、「やり切った感があった」と、サッカーに戻った。アルビレックス新潟に練習参加した後、新潟シンガポールと契約。ただ、「取材で『ビーチサッカーで世界一になる』と発言していたし、戻ることを決めていたと思う」。そして帰国後、東京レキオスBSで復帰を果たした。サッカーの経験が生き、後藤のキレは増していた。そしてさらなる高みを目指し、単身スイスに渡った。「トライアウトに合格し、すぐに出場した試合でいきなり4ゴールした」と、ここから後藤のキャリアは一気に上書きされていく。

単身スイスへ挑戦

 スイスで結果を出して、イタリアのインテル・ミラノBSへ移籍、クラブ世界選手権にも出場した。大会後は開催地のブラジルに残り、地元のクラブと短期契約。帰国後に今度はイスラエルのチームからオファーがあった。当時は、シーズンや大会契約など、フレキシブルだったため、後藤は各チームでプレーし、経験値を上げ続けた。そして14年は再び日本でのプレーを選択。そこには15年にポルトガルで開催されるワールドカップを見据えた思いがあった。「代表監督がビーチサッカー専門のマルセロ(メンデス)になって活動が増え、海外からは参加できないことが多いので、代表を優先しようと思った」。世界一になることこそ、後藤の選手としての野心に他ならない。

発展途上にある日本

 ビーチサッカーは、アクロバティックなプレーや、数多く生まれるゴールが大きな魅力の一つ。会場には音楽が流れ、スタンドの距離が近いことで観客の興奮が直に選手に伝わり、その空間には独特の雰囲気が漂う。欧米ではリーグ戦が盛んに行われ、広く一般にも楽しまれている。その一方で、日本ではまだ発展途上の環境にあるのが現状だ。
 これまで、独自のリーグが各地に存在したが、ようやく東日本リーグが整備された。九州や関西でもリーグ戦が行われるが、全国リーグはまだない。レキオスなどのプロチームはある一方で、それだけで生計を立てられる選手は限られている。気軽にプレーを楽しめる砂浜やコートも少ないために、国内の環境整備こそ、早急に実現すべき課題だ。

仲間や家族とともに

 だからこそ後藤は、競技の普及を目的に、2010年にスクールを設立。「小さい頃にビーチサッカーをやる環境を作りたい。そうすれば自然とビーチが盛り上がるし、子どもの夢も広がる。海外では、ビーチから始め、フットサル、そしてサッカーへという流れが出来上がっている」。ビーチサッカー界のためにできること、それは後藤の使命でもある。
「心の底から、ビーチサッカーと出会ってよかった」。そんな後藤のルーツは、「仲間や家族」。「自分のことのように喜び、悲しんでくれる仲間や家族に助けられてきた。これまで突っ走ってきて、最近ようやく、もっと感謝しなきゃと感じられるようになった。安心してプレーできるのは、周囲の人のおかげ」。ビーチサッカー界で29歳はまだまだ中堅。この先にプレーヤーのピークがあると信じて、ビーチサッカーの隆盛があると願い、後藤はゴールを積み重ねている。

後藤崇介(ごとう・たかすけ)
1985年6月4日生まれ、神奈川県横浜市出身。東京レキオスBS所属。
大学在学中にかりゆしFCと契約。2006年にビーチサッカーと出会い、沖縄レキオスBSで全国大会を制覇。アルビレックス新潟シンガポールで一度はサッカーに戻るが、東京レキオスBSでビーチに復帰した。11年にスイスのBSC Bienne Hatchetsと契約し、BSC Jonaを経て、インテル・ミラノBSに移籍。ブラジルのPrado Juniorやイスラエルでもプレーし、14年は再びレキオスに所属。日本代表として、15年のW杯を目指す。
オフィシャルブログ:http://ameblo.jp/510net/
TAKAサッカースクール:http://taka-soccer.main.jp

本田好伸(ほんだ・よしのぶ)
1984年10月31日生まれ、山梨県出身。
日本ジャーナリスト専門学校卒業後、編集プロダクション、フットサル専門誌を経て、2011年からフリーランスに転身。エディター兼ライター、カメラマンとしてフットサル、サッカーを中心に活動する。某先輩ライターから授かった“チャラ・ライター”の通り名を返上し、“書けるイクメン”を目指して日々誠実に精進を重ねる。著書に「30分で勝てるフットサルチームを作ってください」(ガイドワークス)





本田好伸(ほんだ・よしのぶ)

1984年10月31日生まれ、山梨県出身。 日本ジャーナリスト専門学校卒業後、編集プロダクション、フットサル専門誌を経て、2011年からフリーランスに転身。エディター兼ライター、カメラマンとしてフットサル、サッカーを中心に活動する。某先輩ライターから授かった“チャラ・ライター”の通り名を返上し、“書けるイクメン”を目指して日々誠実に精進を重ねる。著書に「30分で勝てるフットサルチームを作ってください」(ガイドワークス)

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